再読「日本近代文学」・③忘れられた文豪・山田風太郎
●「人間臨終図鑑」読みました。山田風太郎が八百屋お七16歳から泉重千代126歳までの臨終の様を描いた全三巻、1000ページを超える超大作です。
●忘れられた作家・山田風太郎はエンターテインメント作家として知られてますが、バルザック並みの質量を誇る文豪です。「甲賀忍法帳」はその後の映画、小説に絶大な影響を与え、「明治もの」シリーズは荒唐無稽との評価を受けつつ、その時代の人間の悲哀を描いた傑作。「室町もの」でも禁じ手といわれながらも秀作をものにしている。
●山田風太郎は1922年生まれ。戦中派不戦日記などで、戦争に対する不振、憎悪を書き連ねている。両親を幼い時に失い、23歳で終戦を迎えた風太郎の社会に対する不信感はこの時すでにできていた。兵庫県養父郡関宮町(現・養父市)に父母ともに医者の家系。
●『宝石』の短編懸賞に応募した『達磨峠の事件』が入選(1947年1月号に掲載)したことによりデビュー。長編作品『誰にも出来る殺人』、『棺の中の悦楽』等は、読み切り形式の連載作品特有の、一話分のストーリーで起承転結をつけるという制約を守りつつ、全体としても意外な結末へと導く工夫を凝らした作品となっている。その中でも特に最高傑作として『太陽黒点』を挙げる向きも多い。
●デビュー以来の10年、日本ミステリ界の巨人であり、宝石の編集長を自ら務めた江戸川乱歩への恩もあってミステリ作品を執筆していたが自分には向いていなかったと山田風太郎は語るが、多数の傑作を残した事は事実であり、2000年に日本ミステリー文学大賞を受賞した事がそれを何よりも裏付けている。
●また、鼻がペニスという突拍子も無い設定の『陰茎人』をはじめとするユーモア、ナンセンス作品、学年誌に発表したジュニア向け作品や歴史を扱った小説を多数発表。『山屋敷秘図』に代表される切支丹もののように日本を舞台にした作品だけでなく、原稿料のかわりに貰った中国の四大奇書のひとつである金瓶梅をミステリ作品として大胆に再構成した傑作『妖異金瓶梅』はその後忍法帖を執筆するきっかけとなった。
●『妖異金瓶梅』の後、同じく四大奇書である水滸伝を翻案しようと試みるが、108もの武術を考えるに至らず、かわりに忍法という名の奇想天外な術を創作、1958年に発表した『甲賀忍法帖』を皮切りに、安土桃山時代から江戸時代を舞台として、想像の限りを尽くした忍法を駆使する忍者たちの死闘を描いた、いわゆる忍法帖もので一世を風靡する。1963年から講談社より発売された山田風太郎忍法全集は当初全10巻の予定であったが、刊行途中で連載を終えた『柳生忍法帖』を加える形で最終的に全13巻となり、最終的には累計で300万部を売り上げるという爆発的なベストセラーとなった。
●1970年代後半から、佐伯俊男による官能的な表紙絵で角川文庫から多数発売された。1981年の『魔界転生』映画化がきっかけとなり、再び忍法帖は脚光を浴びる事となるが。現在ではほぼ絶版だがなぜか『忍法剣士伝』だけは佐伯俊男の表紙のままで発売しており、2003年の魔界転生の再映画化に伴い寺田克也による表紙で数作品が復刊した。
●ブームの影響もあり忍法帖シリーズの執筆は10年以上に渡って続く事になるが、1970年代に入ると幕末を舞台とした作品を手掛けるようになり、それに橋渡しをする形で1973年に最初の明治もの『警視庁草紙』の連載が始まる。だが最終的に忍法帖に当てはまる最後の作品は、1974年発表の明治を舞台とした『開花の忍者』である。
●山田風太郎の明治ものと呼ばれる作品群は、1973年に連載が始まった『警視庁草紙』は明治時代初期、次に発表された『幻燈辻馬車』は中期と、作を進めるごとに時代が下ってゆく。そして、我々にも馴染みの深い、あるいは名前は知っている歴史上の人物や事件同士を交差させるという大胆な手法が特徴である。史実と史実の間をもしかしたらありえたのではないか、と想像力を駆使して歴史を紡ぎ出すこの手法は、まず史実を踏まえている事を前提として、次にその人、あるいは事件を可能性の中から模索して結びつけている。ここで何らかの矛盾が生じてしまっては元も子もなくなってしまう。これら明治ものは、山田風太郎作品における構成力の緻密さにおいて群を抜いているといえよう。
●1986年の『明治十手架』を最後に明治を舞台とした作品は終焉を告げる。現在では1997年筑摩文庫から発行された山田風太郎明治小説全集全14巻で、忍法帖に属する『開化の忍者』以外の明治ものは全て読む事が可能である。
●1989年、平成に入ってから八代将軍義政を主人公とした『室町少年倶楽部』を皮切りに、資料面の不足などから当時禁じ手とされていた室町時代を舞台にした室町ものと呼ばれる作品群を発表した。この中には、少年時代の日吉丸を中心に京に集った若き日の織田信長、武田信玄、上杉謙信の物語である『室町お伽草紙』や1991年発表の十兵衛三部作の完結編『柳生十兵衛死す』がある。これは「小説を書くとその分命を縮める」と考えていた山田風太郎が書いた最後の小説でもある。そのため彼は晩年には、アイデアはあるものの、それを小説にすることはなかったという。
●90年代は随筆や対談、インタビュー集がいくつか出版されたが、その中でもパーキンソン病にかかった自分自身を見つめた『あと千回の晩飯』は出色の出来である。なお現在、それら小説以外の著作は大部分が各社の文庫におさまっている。室町ものは講談社文庫から『婆沙羅』、小学館文庫の『柳生十兵衛死す』以外は絶版状態だが、出版されたのが90年代中盤から2000年頃までと比較的最近のため、入手は比較的容易である。
●上に挙げたような、カテゴリーに当てはめられる作品群以外にも山田風太郎は優れた著作を多数持っており、その中でも太閤記にはじまる英雄としての豊臣秀吉を疑問視し、徹底的なエゴイストとして描いた『妖説太閤記』と、江戸時代の作家、滝沢馬琴の著作、南総里見八犬伝をすっきりと再構成した上で、八犬伝の世界を虚、八犬伝を書く馬琴の生きる世界を実として交互に綴ってゆくという構成の『八犬傳』は圧巻である。余談だが、山田風太郎は、毎日の献立や出納などを全て日記に記録していた馬琴と似ていたという。
●上記以外の著作としては、自身の昭和20年の日記である『戦中派不戦日記』、それ以外に太平洋戦争の開戦時、日米双方で起きた出来事を時系列順に並べた『同日同刻』や、歴史上や現代の様々な人物の死に際の出来事を死亡年齢順に並べていった『人間臨終図巻』等が知られている。不戦日記はシリーズ化され、作者の死去後は終戦以降の日記が出版され、現在は昭和17年から昭和27年まで読む事ができる。
[編集]
作品リスト
[編集]
長編作品
現代
悪霊の群(高木彬光との合作)
十三角関係
誰にもできる殺人(誰にも出来る殺人)
青春探偵団
棺の中の悦楽
夜よりほかに聴くものもなし
太陽黒点
神曲崩壊
時代小説
妖異金瓶梅
いだてん百里(原題『山刃夜叉』→『韋駄天百里』→『いだ天百里』)
妖説忠臣蔵
ありんす国伝奇(原題『女人国伝奇』)
白波五人帖(『白浪五人帖』)
秘抄金瓶梅(『妖異金瓶梅』に吸収合併)
おんな牢秘抄
妖説太閤記
武蔵野水滸伝
修羅維新牢(原題『侍よさらば』)
叛旗兵
御用侠
魔郡の通過(副題- 天狗党叙事詩)
八犬傳(八犬伝)
旅人国定龍次
忍法帖
甲賀忍法帖
江戸忍法帖
軍艦忍法帖(原題『飛騨幻法帖』→『飛騨忍法帖』)
くノ一忍法帖
外道忍法帖
忍者月影抄
忍法忠臣蔵
信玄忍法帖(原題『八陣忍法帖』)
風来忍法帖
柳生忍法帖(原題『尼寺五十万石』)
伊賀忍法帖
忍法八犬伝
忍法相伝73
自来也忍法帖
魔天忍法帖
魔界転生(原題『おぼろ忍法帖』)
忍びの卍
笑い陰陽師(角川文庫版は『忍法笑い陰陽師』)
忍法剣士伝(原題『忍者不死鳥』)
銀河忍法帖(原題『天の川を斬る』)
秘戯書争奪(原題『秘書』)
忍法封印いま破る(原題『忍法封印』)
忍者黒白草紙(原題『われ天保のGPU』→『天保忍法帖』)
忍法双頭の鷲(原題『妖の忍法帖』)
海鳴り忍法帖(原題『市民兵ただ一人』)
忍法創世記
明治
警視庁草紙
幻燈辻馬車
地の果ての獄
明治断頭台
明治波濤歌
エドの舞踏会
ラスプーチンが来た
明治十手架
室町
婆沙羅
室町お伽草紙
柳生十兵衛死す
[編集]
その他の著作
日記
戦中派虫けら日記(滅失への青春) -昭和17年~19年
戦中派不戦日記 -昭和20年
戦中派焼け跡日記 -昭和21年
戦中派闇市日記 -昭和22年~23年
戦中派動乱日記 -昭和24年~25年
戦中派復興日記 -昭和26年~27年
エッセイ
風眼抄
半身棺桶
死言状
あと千回の晩飯
インタビュー、対談集
風来酔夢談
コレデオシマイ。
風太郎の死ぬ話
いまわの際に言うべき一大事はなし。
ぜんぶ余禄
風々院風々風々居士
ノンフィクション
同日同刻
人間臨終図巻
疾風迅雷書簡集
ーーー以上、ウィキペディアより、抜粋。
●とにかく読んだことのない人はぜひ一読ください。
お薦めは
「人間臨終図鑑」「後千回の晩飯」「甲賀忍法帳」「魔界転生」「明治波頭歌」