Thursday, June 08, 2006

世界共和国vs帝国

●柄谷行人の「世界共和国へ」を読みました。冷戦崩壊以降、左翼陣営としては珍しく、積極的な活動を続けてきた氏の集大成的思考集なので、ちょっと論評してみたいと思います。
●氏は国家=資本=ネーションという枠組みをこう分析しています。まず、国家とはベネディクト・アンダーソンいうところの「想像の共同体」として、ヨーロッパ諸国でラテン語が解体し、地方ごとに共通言語が派生してきたところによる共同体である。また、資本とは商品交換の一形式として捉えられており、贈与、再配分、交換という形の中の一部であると説いてます。これは経済人類学者のカール・ポランニーの理論に依拠しています。
●そういった中、19世紀にあったリバータリアン社会主義、アソシエーション主義を再提案しています。このリバータリアンという考えは日本ではなじみが薄いが、要は国家を信用しない、独立自衛的なライフスタイルです。氏はこういった思想を自身が以前、唱えた「NAM」に結び付けようとしているのでしょう。NAM理論というのは現在で言うところの生協を作ってそれを生活の共同体の基盤として捉えようとする運動です。現在は開店休業中です。
●こういった理論展開とは別に、現在の帝国(これは政治学者・アントニオ・ネグりの概念)に対して、マルティチュード(有象無象のマイノリティー)を対立させるだけでは、19世紀ののヨーロッパにおける失敗と同じことになる。その上でカントの提唱する「世界共和国」という概念を持ってきます。
●前半の国家概念の解体をめぐる論考と後半の帝国に対する対立概念としての「世界共和国」。前半と後半で分断した論考をつなぐ部分がなく、全体としてはやや、散漫な印象を受ける。
●氏の論文の特徴として、世界的な視点で論考し、日本という視点が欠けています。まあ意識的にやっているのでしょうが。逆にしの論理を土台にして、日本の視点から、世界共和国、リバータリアリズムを再考してみたい。
●日本が帝国と出会ったのは、飛鳥時代の唐、鎌倉時代のモンゴルを除くと、明治維新のアメリカになる。この時、日本がとった態度は西洋への追従、模倣である。やがて力をつけた日本は帝国そのものを模倣することになる。朝鮮半島をめぐる清とロシアに対する戦争だ。今日の右翼陣営は典型的回廊半島の朝鮮を押さえておくことが日本の独立自衛を守る地政学的な生命線である、というが実際、韓国にとっては迷惑な話である。ヨーロッパでそうしたた戦略をとった国はナチス・ドイツなどが該当する。(アウへーベン=絶対生存圏)イギリス、フランス等はそこまでやっていない。そう言った考えがすでに帝国主義的である。しかも、ロシアに関しては勝たしてもらった戦争であることを当時の日本は自覚していなかった。英国との同盟、借款、アメリカの仲介など、この時点で日本はウォーラーステインいうところの「近代世界システム」のプレイヤーの一人として、パーツの一つになっていたのである。ただ、胴元ではなく、あくまでも使われる側だが…
●第一次世界大戦のころは極東の帝国と化した日本がヨーロッパ戦線の惨状に気づかず、満州事変から中国へ進出したのは国際政治の動静を見誤った失政である。この時点で帝国主義の時代は終焉を迎えたのだ。ベルサイユ講和会議で世界は三つの帝国を解体した。オスマントルコとオーストリア=ハンガリー帝国とプロイセン王国である。
●そもそも遅れてきた帝国である日本や、ドイツがいくら主張しても、すでに既得権を得ている旧帝国が道を空けるわけがない。また、日本はこの時点で十分に勝ち逃げができたのに、もっと寄越せ、という傲慢な帝国になっていた。ドイツみたいに大戦で負け、こてんぱんにやられてないので、あの時点で満州に固執することなく、また第二次大戦を避けたからといって、日本の独立は維持でき、東南アジア諸国も独立していたであろう。全く日本はしなくていい戦争をしたのだ。
●そして第二次世界大戦は始まった。結論から言うとアングロサクソン帝国の優位をゲルマン、モンゴロイド連合は崩せなっかったということだ。
●戦後は冷戦を勝ち抜いたアメリカが唯一の帝国として君臨し、軍事、経済、文化に渡って世界を凌駕し続けている。グローバリゼーションとはアメリカナイゼーションに他ならない。
●国連概念を提案したのはカントだが、具体化したのはアメリカ大統領・ウィルソンである。しかし、アメリカは議会の反対に遭い、国連は不参加だった。
●戦後に生まれた国連はunited nashonsでこれを国際連合と訳するのは超訳であって、中国では普通に「連合国」と表記してある。もっと判りやすく言うと「戦勝国」だ。常任理事国に日本やドイツが入ることができれば真の意味で戦後は終わったといえるだろう。
●したがって今日でも「世界共和国」を実現しようとする意志と能力を持った国際的な動きはない。唯一つあるとするならばユーロである。しかし、トルコを加入するかどうかでもめているところみると、今のところ、アメリカ帝国に対抗するブロック経済圏の枠をでない。イスラム等、非キリスト圏を共有してこその世界共和国であるはず。
●翻って、日本は政治学者・サミュエル・ハンチントンの言うように中国帝国と太平洋を挟んでアメリカ帝国の狭間で揺れ動く準大国としてどちらかに依存するのか、それとももう一度、「帝国」を目指すのか、それとも独立自衛国として中立を保つのか、いずれかである。
●もう一つの提案である「リバータリアリズム」であるが、実は日本は江戸時代の300年の鎖国時代が世界的リバータリアン国家として機能していたのだ。
●柄谷氏の論敵とも言える福田和也氏が「大丈夫な日本」という著書で書いているが、江戸時代の徳川幕府や地方藩の日本の治水、環境対策、リサイクルなどの政策の素晴らしさを紹介している。氏は日本が大量消費文化である西洋文明に対抗する知恵を元来、日本人が持っていたことを強調している。右肩上げリ経済ではない文明の形をかつて日本人は持っていた。したがって日本は大丈夫だと結論着ける。
●これは柄谷氏が問うところのリバータリアン国家としての日本の再定義だろう。国際社会から距離を持ち、アメリカの金融資本主義からも距離をとり、自営していく。その代わり、現在の豊かな物質文明はあきらめ、銀座からエルメスもルイヴィトンも撤退する光景をあなたは想像できるか?
●このような国家像を建設するには最低限、食料自給率と独自の軍事力、そして人口減が絶対の条件だろう。
●なんだか気宇壮大な話になってしまいましたが、たった一冊の新書で、ここ20年の現代思想の最先端に触れることができる「世界共和国へ」は読んで損のないい一冊でした。

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