再読「日本近代文学」・①自殺したカリスマシェフ・芥川龍之介
●どうも最近、夏目漱石を読んで面白かったせいか、日本近代文学の大家が気になる。そこで短編小説の大家・芥川龍之介の作品を再読してみた。小学校のときに「蜘蛛の糸」や「杜氏春」を読んでおわりだが、本当に日本の国語教育はやり過ぎなんちゃうの?意味わからんちゅーの!小学生には!
●芥川龍之介は明治25年、東京生まれ。生後すぐ、実母が発狂し、親族に養子に出された。複雑な家庭環境が作品に影響を与えているのは漱石と同様。どこかで母親的な愛情の欠如と渇望を繰り返している。その後、東大在学中に発表した「鼻」が師・漱石に激賞され、一時代を築くが、大正末期には当時、文壇を席巻していた自然主義の波に乗れず、初期の作品とは違う暗い自叙伝的な作品を残し、昭和2年には自殺している。
●作品はしたがって前期、後期に分かれる。
前期の傑作は
「鼻」「羅生門」「芋粥」「手品」「地獄門」「杜氏春」「蜜柑」
等。
後期は
「ある阿呆の一生」「河童」「蜃気楼」「歯車」「南京の基督」「玄鶴山峰」
前期作は平安時代の説話集「今昔物語」から題材を得たものが多い。というか、内容そのままのものもある。日本近代文学史上、最もレベルの高い短編小説の一群を築いた。これだけ質の高い作品を短期間で書き上げたことは世界文学史上でも特筆するレベルである。これに対抗するのは夏目漱石の晩年の長編ぐらいである。このことは逆に芥川の自殺にもつながる。要は20代で速すぎたピークを迎え、その後、健康面や、不倫問題に加え(けっこう女好きだったらしい)、作風の転換、脱皮に失敗し、「ぼんやりとした不安」を抱えて死んでしまった。
●ところが皮肉なことに、芥川はその草稿を含めて死の直前に第二のピークを迎えた。「歯車」はぼんやりとした不安な日常を表現した傑作。「ある阿呆の一生」は文字通りの遺書。ただ、この両作はそんなに面白いものではないと思う。芥川の原稿だから読み継がれているので、全くの第三者が書いたものならば歴史には残ってないのではないか。そんな死の予感に満ちた後期の作品の中で「河童」は面白い。前期の作品に通じるユーモアがこの作品にはある。主人公の作家が河童の国に紛れ込むという幻想小説。この作品にはカフカや村上春樹にも通じる恐怖を表現している。死のイメージに満ち溢れているが、死に覆われきっていないところが上記作品と違うところだ。そう言えば村上春樹が近作「東京奇談集」で「いい小説家とは事物を観察して観察して書ききらない、これが重要だ」と書いていたが、まさに芥川の後期作品に当てはまる。「蜃気楼」には死のイメージが充足しているが死に飲み込まれてはいない。これは谷崎潤一郎との「筋のない小説」論争に対する回答である。この小説には何も筋がない。しかし、随所に浮かび上がるメランコリックなイメージに打ちのめされる。遺作である、「ある阿呆の一生」は死そのものの影が濃い。濃いいというよりほとんど遺書だ。そうなったら作家死ぬしかないのだろうか。
●いずれにせよ、芥川の前期の短編は誰が読んでも面白いし、後期の一部の作品は今後も文学通に様々な検証が加えられる問題作だ。そう言えば、漱石の研究は江藤淳、柄谷行人など、進められているが芥川に関してはまとまったものがない。「日本精神分析」で柄谷が安土桃山時代の神父を主人公にした「神々の微笑」を題材に論評している。この中で柄谷は日本に様々な文化が導入されるが、結局は日本流に換骨奪胎してしまう霊力があることを芥川は知悉していると、論じている。とにかく大人になっても再読に耐えうる日本を代表する短編作家。日本はそもそも短編作家ばかりなのでその中でも群を抜いた存在であることはすごいことなのだ。
●最後にワタクシのお薦めベスト5
「河童」「蜃気楼」「蜜柑」「魔術」「芋粥」
●芥川龍之介は明治25年、東京生まれ。生後すぐ、実母が発狂し、親族に養子に出された。複雑な家庭環境が作品に影響を与えているのは漱石と同様。どこかで母親的な愛情の欠如と渇望を繰り返している。その後、東大在学中に発表した「鼻」が師・漱石に激賞され、一時代を築くが、大正末期には当時、文壇を席巻していた自然主義の波に乗れず、初期の作品とは違う暗い自叙伝的な作品を残し、昭和2年には自殺している。
●作品はしたがって前期、後期に分かれる。
前期の傑作は
「鼻」「羅生門」「芋粥」「手品」「地獄門」「杜氏春」「蜜柑」
等。
後期は
「ある阿呆の一生」「河童」「蜃気楼」「歯車」「南京の基督」「玄鶴山峰」
前期作は平安時代の説話集「今昔物語」から題材を得たものが多い。というか、内容そのままのものもある。日本近代文学史上、最もレベルの高い短編小説の一群を築いた。これだけ質の高い作品を短期間で書き上げたことは世界文学史上でも特筆するレベルである。これに対抗するのは夏目漱石の晩年の長編ぐらいである。このことは逆に芥川の自殺にもつながる。要は20代で速すぎたピークを迎え、その後、健康面や、不倫問題に加え(けっこう女好きだったらしい)、作風の転換、脱皮に失敗し、「ぼんやりとした不安」を抱えて死んでしまった。
●ところが皮肉なことに、芥川はその草稿を含めて死の直前に第二のピークを迎えた。「歯車」はぼんやりとした不安な日常を表現した傑作。「ある阿呆の一生」は文字通りの遺書。ただ、この両作はそんなに面白いものではないと思う。芥川の原稿だから読み継がれているので、全くの第三者が書いたものならば歴史には残ってないのではないか。そんな死の予感に満ちた後期の作品の中で「河童」は面白い。前期の作品に通じるユーモアがこの作品にはある。主人公の作家が河童の国に紛れ込むという幻想小説。この作品にはカフカや村上春樹にも通じる恐怖を表現している。死のイメージに満ち溢れているが、死に覆われきっていないところが上記作品と違うところだ。そう言えば村上春樹が近作「東京奇談集」で「いい小説家とは事物を観察して観察して書ききらない、これが重要だ」と書いていたが、まさに芥川の後期作品に当てはまる。「蜃気楼」には死のイメージが充足しているが死に飲み込まれてはいない。これは谷崎潤一郎との「筋のない小説」論争に対する回答である。この小説には何も筋がない。しかし、随所に浮かび上がるメランコリックなイメージに打ちのめされる。遺作である、「ある阿呆の一生」は死そのものの影が濃い。濃いいというよりほとんど遺書だ。そうなったら作家死ぬしかないのだろうか。
●いずれにせよ、芥川の前期の短編は誰が読んでも面白いし、後期の一部の作品は今後も文学通に様々な検証が加えられる問題作だ。そう言えば、漱石の研究は江藤淳、柄谷行人など、進められているが芥川に関してはまとまったものがない。「日本精神分析」で柄谷が安土桃山時代の神父を主人公にした「神々の微笑」を題材に論評している。この中で柄谷は日本に様々な文化が導入されるが、結局は日本流に換骨奪胎してしまう霊力があることを芥川は知悉していると、論じている。とにかく大人になっても再読に耐えうる日本を代表する短編作家。日本はそもそも短編作家ばかりなのでその中でも群を抜いた存在であることはすごいことなのだ。
●最後にワタクシのお薦めベスト5
「河童」「蜃気楼」「蜜柑」「魔術」「芋粥」
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