Friday, May 26, 2006

再読「日本近代文学」②遅れてきた明治男・松本清張が昭和を撃つ

●平凡社新書から「松本清張と昭和史」という本が出た。作者は昭和史研究で有名な保坂正康。この本ではテレビでおなじみの「けものみち」や「黒革の手帳」といった銀座ものとは違う、松本清張の本筋でもあるのでこれをきっかけに興味を持ってほしい。そもそも、松本清張は低学歴、怪異な容貌で女性には奥手だったそう。確かに初期の「ゼロの焦点」なんか読むと性描写が少ない。そのことを指摘された清張氏は有名作家になってからは銀座のクラブに入り浸るようになり、それが基で米倉涼子主演の一連のドラマが誕生したそう。ただし、清張の仕事の最良の部分はこの本に紹介されている「日本の黒い霧」「昭和史発掘」です。文春文庫で新装版が発売され読みやすくなってます。
●「日本の黒い霧」はGHQ占領下でおきた快事件が実はアメリカの陰謀だった、と言うことを究明した作品。当時国鉄総裁だった下山氏が礫死体で発見された事件をGS(民生局)とG2(情報第二局)の対立が生んだアメリカのの謀殺だったという。また、帝銀毒殺事件の真犯人は米軍にかかえられていた石井細菌部隊(「悪魔の飽食」で有名)の生き残りの犯行であるとか、読み始めるととまらない。中にはこじつけちゃうのと思う説もあるが、GHQが6年間日本を支配したのは事実だし、近現代史では珍しいケースであることは記憶しておきたい。
●今日のイラク戦の処理をかんがえても曲がりなりにも普通選挙が導入されていた民主主義国家を6年間占領し続けたことは異常である。その間に起こった数々の未解決事件の米軍が全く関与してないなんてことは可能性が低い。そう言った意味でも、我々日本人は戦時中や終戦直後の歴史に関しては思考停止状態だった。それらが正しいとか正しくないとか言う前に日本で何が起こってたか知って損はないと思う。
●「昭和史発掘」はまさにそのような意図で造られた本。芥川龍之介の死から226事件まで、昭和前期の重大事件を分析した大作。戦争中の1940年から1945年までの五年間を外して「昭和史発掘」が第一部、「黒い霧」が第二部とみていい。
●両方読んで面白かったら、古代史シリーズや、初期の推理小説を読むのもいい。デビュー作の「西郷札」は明治維新当時、藩札を巡るある男の苦悩を描いた佳作。「ある小倉日記伝」は陸軍在籍時の森鴎外の日記を巡るある埋もれた男の人生にスポットライトをあてたもの。清張全作品に通じる敗者の悲しみがすでに表れている。
●社会派推理小説というジャンルは今日でも横山秀夫や、宮部みゆきに受け継がれているが、元祖はこの人だ。電車の時刻表をトリックに使った「点と線」。その後も西村京太郎作品などで延々焼き直されている。戦争中の過去を隠すために起こった悲劇を描いた「ゼロの焦点」はラストが能登半島のヤセの海岸が舞台。今日の二時間ドラマの原型がこれ。「砂の器」はハンセン氏病という国家のタブーに切り込む。「火の路」はシルクロードの終点としての奈良に焦点を当てている。
●「古代史疑」は邪馬台国論争を巻き起こした問題作。松本は北九州説を主張し、話題を呼んだ。また、「一大卒」は魏が北九州に創設した機関であると主張。歴史家ではなく小説家の松本が独自の歴史観を論じるのは後の司馬史観にも通じるパイオニア的業績だ。
●これらの華々しい業績を残しながらも、中央公論社の日本文学全集の作品掲載に関して三島由紀夫の猛反対を受けた松本作品。所詮は中間小説だという扱いを受けたのだろう。この点に関して橋本治は「事実を徹底的に調べ上げ、大人の解釈で作品を構成する清張と、事実を解体し、自分の空想だけで再構築する子供の三島とはお互い相容れないだろう」と論じている。両者とも愛読する立場としては貴族的ロマン主義者、審美主義者の三島とプロレタリア的社会主義的な視点で弱者を見つめる清張のどちらが文学的かなのかはきめかねる。ただ、清張作品はきちんと人間が描けている。むしろドストエフスキー作品にも通じる資質を持つ清張が昭和を代表する作家であることは論を待たない。
●清張作品の真髄は敗北者、過去の出来事によって人生を振り回された者の叫びを静かに訴えている。それは41歳で作家デビューした清張自身の姿でもある。

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