Thursday, October 12, 2006

追悼・阿部謹也

●阿部 謹也(あべ きんや、1935年2月19日 - 2006年9月4日)は東京都千代田区生まれの歴史学者。専門はドイツ中世史。世間をキーワードに独自の日本人論を展開し言論界でも活躍する。1997年紫綬褒章。上原専禄の弟子。一橋大学名誉教授。

早くに父を亡くし、中学時代に修道生活を送った経験から西洋中世史の研究を志した。国立大学協会会長、文化功労者審査会委員、財団法人大学基準協会副会長、大学審議会特別委員、学術審議会委員、 東京都青少年問題協議会副会長(会長:石原慎太郎東京都知事)等を歴任。

著書に『ハーメルンの笛吹き男』『刑吏の社会史』『「世間」とは何か』など。『中世を旅する人びと』でサントリー学芸賞、『中世の窓から』で大佛次郎賞。筑摩書房から著作集が出ている。

「世間」から日本社会を研究すべく、「日本世間学会」を立ち上げた。

最晩年は、腎臓病を患い、人工透析を受けながらの研究生活だった。

2006年9月4日午後9時37分、急性心不全により東京都新宿区の病院で死去。71歳だった。

Wednesday, October 11, 2006

映画千夜千本③「インファナルアフェア」

●「インファナルアフェア」三部作★★★★☆☆
アンディ・ラウとトニー・レオン主演のハードボイルドムービー3部作のBOX。警察に潜入したマフィアと、マフィアに潜入した警官。運命に翻弄されるふたりの男の生き様を描く。
警察に潜入したマフィアの男と、マフィアに潜入した警察の男の2人が運命的な対決を果たすハードボイルド作品。
●「インファナル・アフェア」 マフィアの組員の18歳のラウは、ボスのサムの指示で香港警察に入る。一方、ラウと同じ警察学校に通っていたヤンは組織犯罪課のウォン警視に見込まれてマフィア世界へ潜入。10年後、ラウは警察内で出世し、ヤンもサムに気に入られて麻薬取引をまかされるまでになっていた。そんな中、マフィアも警察も内部情報者がいると知り、双方とも裏切り者を探す指示をラウとヤンに下すのだった……。
極限に追い詰められていく男たちの心理と、潜入の末の心の変化が生み出すドラマがヘタな説明台詞なしに描き込まれていて、胸を熱くするとともになんともやるせない気持ちにさせてくれる。また麻薬取引日のラウとヤンによる情報合戦は実にスリリング。展開も予想がつかないし、最後まで釘づけにさせられること間違いなし。実に見事なフィルムノワールだ。(横森 文)

《監督》 アンドリュー・ラウ / アラン・マック
《脚本》 アラン・マック / フェリックス・チョン
《ライン・プロデューサー》 エレン・チャン / ロレイン・ホー
《美術》 ビル・ルイ
《衣装》 デザインシルバー・チョン
《アクション指導》 リー・タッチウ
《撮影》 アンドリュー・ラウ / ン・マンチン
《編集》 ダニー・パン / パン・チンヘイ
《音楽》 チャン・クォンウィン
《音響》 デザインキンソン・ツァン



●「インファナル・アフェア2無間序曲」
トニー・レオンとアンディ・ラウの息づまる攻防で、香港映画の復活を見せた前作。このパート2は過去にさかのぼり、ふたりが過酷な運命に身を投じることになった経緯が描かれる。1作目の回想シーンで主人公たちを演じたショーン・ユーとエディソン・チャンがメインキャストに昇格。それぞれレオンとラウを連想させる表情で熱演している。一方、彼らのボスたちのドラマにも焦点が当てられ、1991年、中国返還以前の香港裏社会の壮絶な人間模様が浮き彫りになっていく。
1作目のパワーは落ちていない。むしろ加速している。警察と裏組織、双方の内部での確執や裏切り、密かな取引や愛のドラマが巧妙に絡んで緊張感を持続させ、突発的な衝撃シーンで圧倒。前作の演出力に、さらに磨きがかかったようだ。新たなキャストも魅力的で、マフィアの妻役カリーナ・ラウの妖艶さや、若きボス、フランシス・ンの知的でクールな悪の香りが秀逸。破滅へ向かっていく者たちは哀れだが、観ているこちらはゾクゾクとする興奮が味わえる。かつての日本のヤクザ映画が、香港で鮮やかに復活したようだ。(斉藤博昭)

内容紹介
アジアのみならず世界を熱狂させた香港映画の金字塔『インファナル・アフェア』3部作の第2章。第2章が描かれるのは、11年前の1991年~1997年。
第1章のトニー・レオンとアンディ・ラウに代わって、若きヤンとラウを演じるのは、香港新世代スターで最も注目株のショーン・ユーとエディソン・チャン。マリー役には、『2046』にも出演しているカリーナ・ラウ。2代目大ボス、ハウには香港映画界きっての演技派フランシス・ン。

●「インファナル・アフェア3終極
潜入捜査官としてマフィアの一員になったヤンと、マフィアの指令で警官となったラウ。ふたりの壮絶な運命を描くシリーズ完結編。第1作のラストでヤンが死んだ後から、物語は始まる。マフィアとしての過去と決別したいラウが、警察内に潜んでいると思われる他のマフィアを探すうち、エリート警官のヨンと中国本土の武器商人の関係を怪しむ。
男たちの悲劇と衝撃シーンが相乗効果を上げた前2作とはうって変わり、今回はラウの心理ドラマに重点が置かれている。彼が向き合う現実とともに、前作で描かれなかったヤンの行動、ヤンの精神科医とラウのドラマ、さらにラウの幻想などが絡む重層的な展開だ。第1作で晴れわたっていた屋上が、どんよりとした曇天の下で再登場するなど、全体に陰鬱なムードで覆われ、アンディ・ラウの熱演とともに訪れる結末は今回も悲痛。前2作から過剰な期待を持って観ると物足りない部分があるかもしれないが、3部作全体を、この10年の香港の変化とだぶらせると、感慨もひとしお!(斉藤博昭)

内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
アンディ・ラウとトニー・レオン主演のハードボイルドムービー3部作最終章。ヤンの死後、ラウは自分以外の警察潜入マフィアを探すうち、エリート警官・ヨンに目を付ける。さらに精神科医・リーに近づいたラウは、ヤンの半年間が記されたカルテを入手する。



●第一作から派生したと思われる第二作、三作が第一作よりも面白いという稀に見る三部作。アメリカの国宝とも言われる「スターウォーズ」三部作よりも面白い三部作単位では世界最高峰の映画です。
●マーチン・スコセッシがリメイク。レオナルド・ディカプリオ、マット・デイモン、ジャック・ニコルソン、マーティン・シーンが出演。アメリカでも大ヒットしてます。
●何が面白いかというとまず脚本のできが素晴らしい。これ以上のものは考えられません。とりあえず観て!

Sunday, October 01, 2006

再読「日本近代文学」⑦中上健次

●良くも悪くも戦後の作家では村上春樹と中上健次が最大の存在でしょう。ではまず毎度おなじみのウィキペディアから抜粋。
●中上 健次(なかがみ けんじ、男性、1946年8月2日 - 1992年8月12日)は、和歌山県新宮市生まれの作家・批評家・詩人。本名は、表記は同じだが読みは「なかうえ」。妻は作家の紀和鏡、長女は作家の中上紀、次女は陶芸家で作家の中山菜穂。被差別部落の出身であり、部落のことを「路地」と表現する。初期は、大江健三郎から文体の影響を受けた。デビュー作は、村上龍『限りなく透明に近いブルー』の先行的作品とも呼べる『灰色のコカ・コーラ』。柄谷行人から薦められたウィリアム・フォークナーに学んだ先鋭的かつ土俗的な方法で、紀州熊野を舞台にした数々の小説を描き、「紀州サーガ」とよばれる独特の土着的な作品世界を作り上げた。1975(昭和50)年、『岬』で、第74回芥川賞を受賞。戦後生まれで初めての芥川賞作家として、話題を呼んだ。早世。
●『枯木灘』(1977年)は著者の出世作。被差別部落に住む中上と中上の血族がそのモデル。事実と空想がない交ぜになったギリシャ悲劇を思わせる路地の物語で一躍、戦後で最も重要な作家となる礎を築いた。私も高校生の時にたいそう感銘を受けました。そして現在、再読してみるとそこまでの感銘はなく、中上の抱えていた問題を捏造に感じてしまう。
●最も、それは著作から発見したのではなく、「評伝 中上健次」(高澤秀次)を読んだからだ。中上は上京中に新卒サラリーマンの2倍の仕送りを受け、放蕩し、肉体労働も短期に辞めることを繰り返して、作中で語られる労働の美しさは実体験に基づいたものではなく、空想の産物に過ぎなかった。このことは作家・梁石日氏が「アジア的身体」の中で指摘している。要するに若者が差別の出自や、複雑な家庭環境を神話に昇華することによって自己肯定するための材料にしていたのだ。おおよそ差別された実体験に乏しい中上が、東京で文筆業に身を立てるために利用したといっては言いすぎだろうか。評論家・福田和也氏は「 近代の果実をかじった「満腹ガキ」の一人としてのあがきを「現代文学」で論じている。ただ、タクシードライバー18年の梁氏から見れば、同書で引き合いに出されている港湾の哲学者・エリック・ホッファの言を引き出すまでも無く、労働の実感なさを指摘されている。
●それでも「満腹ガキ」の一人としてそのあがきを福田氏は擁護する。
●私も「枯木灘」は擁護したい。問題は次作の『地の果て至上の時』(1983年)で中上は自家撞着を始めてしまったことだ。この物語で秋幸は語るべき神話を乗り越えられず、自分自身が構築した物語の渦に飲み込まれてしまったのではないか。
●大阪に「人権博物館 リバティ大阪」という博物館がある。大阪の最大の部落・旧渡辺村の中心にあるこの博物館が今年、リニューアルしたので5年ぶりに見学した。するとかつて観た「京都七条部落問題」や岸和田紡績の過酷労働、もしくは中世の差別の起源など、行ったものに必ずや、打撃を加える重厚さが消え、薬害エイズ、女性の就職差別、ハンセン氏病などのこの世にあるありとあらゆる差別に向けて糾弾する展示に裾野が広がっていた。なんだか以前、行ったときの衝撃を受けなくなった。「地の果て」以降の中上が韓国の現状に言及するようになった。これを梁氏はこっぴどく批判した。それは在日である梁氏が中上が論じた韓国辞表がいかに無理解かを示すないようだったからである。別に梁氏は韓国の問題は我々の物語であるから余計な口出しは無用といってるわけではなく、中上の独善に反論している。中上は己の語るべき物語を失い、他の被差別者との連帯を志したのではないか。
●漫画家の小林よしのり氏は「ゴーマニズム宣言」の中で薬害エイズ問題を取り上げた時、運動を起こしていた当事者の患者および支援者が勝訴を獲得していた後、他の差別に対する糾弾を始め、患者の母親が政治活動を始めたことに関して、「目標を達成したのだから日常の市民生活に戻るべきだ」と論じ、団体を去った。語るべき物語を達成した中上は書く動機を失ったのではないか。それをなんとか他の被差別に見出そうとして、失速したのではないだろうか。
●『日輪の翼』(1984年)や『奇蹟』(1989年)は路地を失った者の後日談である。中上は被差別という連帯をその後の 『讃歌』(1990年) 『軽蔑』(1991年) 『鰐の聖域』(1991年) そして遺作で未完の『異族』(1991年)で書き連ねたが、初期の傑作ほどの評価は受けなかった。これらの物語は中上の中からあふれ出た書かざるを得ない作品ではなっかたのではないか。評論家・吉本隆明は「中上は現代思想などの勉強を始めてからだめになった」と後期の中上作品を批評したことに対して、盟友であり、勉強させた張本人と思われる評論家・柄谷行人氏は「勉強したからだめになったのではなく、しなくなったからだめになったのだ」と反論する。柄谷が真正面から中上を評論したものは意外と少なく、その切っ先は他の作家の作品に向けた鋭い切れ味に比べるとぬるい。梁氏は中上を「左翼評論家を押し黙らせることができた」と論じたが、確かに満腹ガキとりもさらに満腹な市民は中上の物語性にやられる。柄谷氏は今一度、中上を論じ直すべきではないか。先日、「坂口安吾と中上健次」を読んだが、坂口に関してはその可能性の中心を見事に照射して、坂口が読むべき偉大な作家であることが説得力を持って論じられている。それが中上の論になるとまるで説得力が無いのだ。要はえらいものはえらいとしか言ってない。福田氏や高澤氏の評論や梁氏の批判のほうがよほど説得力がある。「中上の死をもって近代文学は終わった」とまで論じるのだから。私も「枯木灘にはやられた。しかし、やはり作家としての中上が「枯木灘」で終わっている。今後も繰り返し、読み継がれるのはこの時代までだろう。松本清張氏は「昭和史発掘」の中で芥川龍之介作品をこう論じる「「歯車」や「河童」などの晩年の作家の実人生の苦渋に満ちた作品よりも流麗な「藪の中」や「芋粥」の短編が読み継がれるだろう」。初期の頃から芥川の晩年以上に苦渋に満ち溢れた中上の後期作品が再評価されそこに作家的到達を見ることが出来る日がくるのか。実は後期の作品を私は読んでないのでなんともいえないが今の私は読む気がしない。いずれ読みたくなる時がくるまで。
●それに比べると初期の『十九歳の地図』(1974年) 『蛇淫』(1976年)を再読したら実に面白かった。
この作家に限らず、小説家の作品は初期に限る場合が多い。職業作家とは厄介な仕事だ。