Friday, January 05, 2007

伊勢神宮・インテリジェンス・プラネットアース

●元旦、伊勢神宮に行って来ました。
伊勢神宮(いせじんぐう)は三重県伊勢市にある神宮の俗称。神社本庁の本宗(ほんそう)とされ、正式名称は神宮。ほかの神宮と区別する場合には伊勢の神宮と呼ぶ。神道の神社では別格とされ、格付けはされない。
●建物は皇大神宮(こうたいじんぐう)と豊受大神宮(とようけだいじんぐう)からなる。通常は皇大神宮を内宮(ないくう)と呼び、豊受大神宮を外宮(げくう)と呼ぶ。内宮は天照大神(あまてらすおおみかみ)、外宮は豊受大御神(とようけのおおみかみ)を祭る。近世江戸時代を除いて、古代から政治的権威と結びつくことが多かった。広くは、別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)を含めた一連の社宮を神宮と総称する。この場合、所在地は伊勢市にとどまらずまたがる。
●内宮(皇大神宮):天照大神 ご神体:三種の神器の一つ、八咫鏡
相殿神:天手力男神、万幡豊秋津姫命
外宮(豊受大神宮):豊受大神
相殿神:御伴神3座
●由緒
内宮:不明(伝垂仁天皇26年)
外宮:不明(伝雄略天皇22年)
延喜式神名帳に記載されている神社(正宮、別宮を除く)を摂社とする。定義では摂社は全て式内社となるが、戦国時代にほぼすべてが廃絶となり、江戸時代の1630年代から明治初頭の1870年代にかけて復興されたため、式内社の比定地とされる場合がある。神宮の所有する土地の大部分は森林で、俗に神宮林と呼ばれる。神宮での名称は宮域林である。神宮林は神路山、島路山、高倉山を主体とし、面積は5,410ha。約2,500haのと天然林と、将来の神宮式年遷宮で使用される予定のヒノキの植林を行なっている人工林に2分される。
●神宮の本殿などは、20年ごとに、まったく同じ形で建て直される。これを神宮式年遷宮(じんぐうしきねんせんぐう)(単に式年遷宮、正遷宮などとも)という。これは、第一に社殿の清浄さを保つためで、他に建築技術の伝承、伝統工芸の伝承などの意味があるとされる。立て替えられたあとの古い建築材は、神宮内の他の社殿や施設に使用したり、日本各地の神社に譲り渡されたりして再利用される。
●垂仁天皇(紀元前69年-70年)の皇女倭姫命が天照大御神を鎮座する地を求め旅をした。倭姫命は倭国から丹波国、倭国、紀乃国、吉備国、倭国、大和国、伊賀国、淡海国、美濃国、尾張国、伊勢国の順に移動し、伊勢国内を移動した後、現在の五十鈴川の畔に五十鈴宮と言う名で鎮座した。移動中に一時的に鎮座された場所は元伊勢と呼ばれているが、記紀神話に従った伝説であって、考古学的資料に基づくものではない。
●中世
朝廷の衰微に伴い皇室にとってのみの氏神から、日本全体の鎮守として武士たちから崇敬された。神仏習合の教説において神道側の最高神とされた。また、外宮側の度会家行より伊勢神道(度会神道)が唱えられた。 戦乱の激化により神宮領は侵略され、経済的基盤を失った神宮は衰微して、式年遷宮は停止せざるを得なかった。 神宮の信者を獲得し、各地の講を組織させる御師が台頭し始める。
●近世
お蔭参りが流行した。多くの民衆が短期間の間に神宮に押し寄せた。
●近代
明治政府により国家神道の頂点の神社として位置付けられた。
ウィキペディアより
●小学校以来の御蔭参りでした。坂口安吾の「安吾新日本地理」によると、この地ではかつて天孫族と現地人との戦争があり、かつてはここに祭られていたのは天照大神ではなく、別の紙を祭っていたに違いないと推理する。
●伊勢湾の高台にそびえる檜の森。広い地域に五十鈴川が流れる。内宮、外宮その他、月読宮など30以上の神社がある。内宮は天照大神。外宮は豊受大神。豊受大神は物部、蘇我一族に通じる。それに対して天照は天孫族。この時点で天孫族の妥協が見受けられる。
●式年遷宮については日本の怨霊信仰に関係があるのではないか。20年に一度建て換えるのは日本人の穢れ信仰というよりも過去の血なまぐさい戦によって死んだものに対する鎮魂という意味があるのではないか。
●そもそも伊勢の森は飛鳥や大和に見る韓国人型都市ではなく、三内丸山や西都原に通じる縄文人型のとしなのである。坂口が言うようにここは先住民族の居城であり、内宮自体も一種の古墳だ。
●日本人の心の魂とも言える伊勢神宮の歴史には血まみれの怨霊が漂う。こんなところが日本人の心の故郷だとしたら日本人はなんと血なまぐさい民族だろう。
●実家の神戸から近鉄特急に乗って3時間。暇なので「インテイジェンスー武器なき戦争」を読んだ。NHKのワシントン支局の手島龍一と外務省のラスプーチン・佐藤優の対談。実に面白い内容でした。
●NHKといえば「プラネットアース」をまとめて再放送してました。初めて1から7までまとめて見ました。こちらも面白い。必見です。

Saturday, December 09, 2006

イーストウッドとリバータリアン

●第二次世界大戦史上最大の激戦地
日本の最南端に近い太平洋上に、その島はあります。東京都小笠原村硫黄島。面積22㎞2、周囲22km、山手線一周ほどもない小さな島です。その島で、61年前、何があったのか、

●男泣きの戦争映画★★★★☆☆
『父親たちの星条旗』(Flags of Our Fathers)は、2006年のアメリカ映画。ジェイムズ・ブラッドリーとロン・パワーズによる『硫黄島の星条旗』Bradley J, Powers R (2000) Flags of Our Fathers. Bantam Books, New York. ISBN 0553111337(日本語訳: ジェイムズ・ブラッドリー、ロン・パワーズ著、島田三蔵訳『硫黄島の星条旗』文藝春秋、文春文庫 ISBN 0553589083)を原作とした作品である。監督はアカデミー賞の監督賞を二度受賞したクリント・イーストウッド。製作にはスティーヴン・スピルバーグ率いるドリームワークスも参加している。

●旗を立てた兵士は英雄か
硫黄島の戦いを日米双方の視点から描いた「硫黄島プロジェクト」のアメリカ側視点の作品である。
硫黄島での死闘と戦場(摺鉢山の山頂)に星条旗を打ち立てる有名な写真の被写体となった兵士たちのその後などが描かれる。 東京から南へ1250km。アメリカ、ウィスコンシン州で葬儀社を営むひとりの老人。今、彼には最期の時が迫っていた。彼の名は、ジョン・“ドク”・ブラッドリー。彼は1945年、太平洋戦争の激戦地として名高い硫黄島に、海軍の衛生兵として出兵していた。しかも、その時撮られた1枚の写真によって、米国中から“英雄”と讃えられた輝かしい過去があった。しかし彼は、その事について決して語ろうとはしなかった……。硫黄島で何を見たのか。父は何故沈黙を貫こうとするのか。父の最期を見守る彼の息子が、硫黄島の真実を辿り始める……。原作である「FLAGS OF OUR FATHERS」は、ジョン・“ドク”・ブラッドリーの息子ジェイムズ・ブラッドリーによって書かれた。彼は、父の沈黙に秘められた真実を知るため、何年もの歳月を費やし、父が見た硫黄島の真実に辿り着く。この本に感銘を受けたのは、メガホンを取ったクリント・イーストウッドだけではない。既に戦争映画『プライベート・ライアン』で2度のアカデミー賞(監督賞)を受賞したスティーブン・スピルバーグも、本作の映画化権獲得に尽力し、製作に情熱を注いだ。
●戦士達の真の敵とは
戦時国債稼ぎのツアーに一人は傷つき、一人は舞い上がり、一人は受け入れる。しかしその背景にあるのは戦場に出てこない将軍や、政治家たちだ。彼らは英雄を捏造しようとし、戦争を継続しようとする。イーストウッドは戦場で戦い傷つく無名の戦士達に注ぐ暖かい目とは反対にロビー活動に執心するエシュタブリッシュメントには批判的だ。

●男とはどいう生物かイーストウッドは描いた
三人の兵士のうち、ネイティブアメリカンのアイラの存在がこの映画に陰影を与える。少数民族であるが故の葛藤。また勇敢で知られる部族の戦士が伍長に助けられ、生還したことに対する後ろめたさ。「本当に勇敢なのは死んだマイクだ」「生きて帰ってきた奴は勇敢ではない」このテーマは繰り返して語られる。そしてアイラは自分を見失い、野垂れ死にをする。純粋な穢れのない魂が穢れて命の火が消える。こんな男の繊細さを淡々と描写できるのは今、世界においてイーストウッド以外にはないだろう。

●そんな彼らを英雄視することなくまた、批判することもなく、ただ受け入れるラストシーンは男泣きする。

●徹底検証・イーストウッドvs全日本戦争映画の傑作★★★★☆
『父親たちの星条旗』に続く「硫黄島」2部作第2弾、日本から見た硫黄島。2006年12月9日、世界に先駆けて日本公開。『許されざる者』(92)と『ミリオンダラー・ベイビー』(04)でアカデミー賞監督賞に輝いたクリント・イーストウッドが、61年前に硫黄島に侵攻してきた米軍と戦った日本兵と彼らの指揮官の知られざる物語を明らかにする。

●もしも栗林が日本にあと10人いたら…
一日でも長く。61年の時を超えて届く男たちの想い。2006年、硫黄島。地中から発見された数百通もの手紙。それは、61年前、この島で戦った男たちが、家族に宛てて書き残したものだった。届くことのなかった手紙に、彼らは何を託したのか。戦況が悪化の一途をたどる1944年6月、ひとりの指揮官が硫黄島に降り立った。陸軍中将、栗林忠道(渡辺謙)。アメリカ留学の経験を持ち、それゆえにアメリカとの戦いの厳しさを誰よりも知り尽くしていた男。本土防衛の最後の砦とも言うべき硫黄島の命運は、この男に託された。着任早々、長年の場当たり的な作戦を変更し、部下に対する理不尽な体罰をも戒めた栗林に、兵士たちは驚きの目を向ける。今までのどの指揮官とも違う栗林との出会いは、硫黄島での日々に絶望を感じていた西郷(二宮和也)に、新たな希望を抱かせる。従来の常識にとらわれない栗林のやり方は、古参の将校たちの反発も呼んだが、一方で頼もしい理解者もいた。そのひとりが、ロサンゼルス・オリンピック馬術競技の金メダリスト、「バロン西」こと西竹一中佐(伊原剛志)だった。硫黄の臭気が立ち込める灼熱の島、食べ物も飲み水も満足にない過酷な状況で、栗林の指揮のもと、掘り進められる地下要塞。島中に張りめぐらせたこのトンネルこそ、米軍を迎え撃つ栗林の秘策だったのだ。
1945年2月19日、ついにアメリカ軍が上陸を開始する。その圧倒的な兵力の前に5日で終わるだろうと言われた硫黄島の戦いは、36日間にもおよぶ歴史的な激戦となった。死こそ名誉とされる戦争の真っ只中にあって、栗林中将は兵士たちに「死ぬな」と命じた。最後の最後まで生き延びて、本土にいる家族のために、一日でも長くこの島を守り抜け、と。栗林の奇策に反発し、軍人らしく玉砕を貫こうとする伊藤中尉(中村獅童)、憲兵隊のエリートから一転、過酷な戦地へと送り込まれた清水(加瀬亮)、戦場にあってなお国際人であり続けたバロン西、まだ見ぬ我が子を胸に抱くため、どんなことをしても生きて帰ると妻に誓った西郷、そして彼らを率いた栗林もまた、軍人である前に、家族思いの夫であり、子煩悩な父であった。
61年ぶりに届く彼らからの手紙。そのひとりひとりの素顔から、硫黄島の心が明かされていく。

●なぜイーストウッドは日本戦争映画をはるかに上回る傑作を軽々と撮ってしまったのか
過去に日本映画も和限りない戦争映画を造ってきたがこの映画にかなうものはない。なぜ、数々の戦争映画を超えてイーストウッドは傑作を造ってしまったのか。それは戦後の日本の戦争映画にはリアルがないからだろう。反戦左翼映画であったり(「野火」「ビルマの盾琴」)右翼いけいけだったり(「プライド・東条英機」)神風青春ものだったり(「ひめゆりの塔」)どれも紋切り型なのである。誰も戦争をリアルに捕らえられない。だから痛みもなく。感動もない。イーストウッドは沸騰した湯がどれほど熱いのか、氷の水がどれだけ冷たいのかを知っている。それは彼が戦後世界の警察を辞任し、現在も戦争を継続中のアメリカの映画監督であるからだ。戦後、日本に生まれてくると戦争音痴になると言われているが、この映画を見てその言葉が正しいと思った。擂鉢山の先頭シーンは息を呑むほど素晴らしい。あれは日本人には撮れないだろう。技術や予算の問題ではなく。

●リバータリアン・イーストウッド
さらにイーストウッドの映画の背骨を貫くリバータリアリズムがこの映画の風格を高めている。リバータリアンとはフランスでいう「リベルタン」日本で言うところの「無頼派」。リバタリアニズム(英libertarianism)とは、個人は、他人の同様の自由を侵すか又は他人への害とならない限りにおいて、自分とその財産を自由に出来るべきであると提唱する政治哲学である。リバタリアンは「すべての人間の交流は自発的かつ合意に基づいているべきである」ということを基本認識としている。リバタリアンは、個人あるいは財産に対する強制的な力の行使あるいは脅迫がこの原則の違反であるとしている。リバタリアンの中には、全ての強制的な力の創設を不道徳であるとみなす者もいる。一方、その他の者は、最大の個人の自由を保障するために必要最小限の力(最低量の課税や法規など)の行使に従事する必要最小限の政府の存在を支持している。ノーラン・チャート経済的自由を重視する点でリベラルとは対立し、個人的自由も重視する点で保守とも異なる。また、リバタリアニズムでは、私的財産権(private property rights)もしくは私有財産制を個人の自由を確保する上で必要不可欠な制度原理と考える。私的財産権には、自分の身体は自分が所有していることを自明とする自己所有権原理(principle of self-ownership)を置く。(→ジョン・ロック)私的財産権が政府や他者により侵害されれば個人の自由に対する制限もしくは破壊に結びつくとし、政府による徴税行為をも基本的に否定する。また税とその配分という政府機能を否定すれば、無政府資本主義(アナルコ・キャピタリズム/anarcho capitalism)や国防・裁判・治安維持にその機能を限定した上で政府の役割を肯定する最小国家論者(Minarchist)といった分類は程度の問題といえる。基本的にリバタリアニズムが追求する自由とは、他からの制約や束縛がないことという意味での消極的自由を指している。この点において、制定法上の自由権のような政府が与える積極的自由と、リバタリアニズムにおける消極的な自由とは対照的で相反する概念である法的には、ハイエクに見られるように、自由とは本質的に消極的な概念であるとした上で、自由を確保する法思想(法の支配/rule of law)を追求する。経済的には、フリードマンに見られるように、市場におきる諸問題は政府の規制や介入が引き起こしているという考えから、市場への一切の政府介入を否定する自由放任主義(レッセフェール/laissez-faire)を唱える。(ウィキペディアより引用)

●デビュー作の荒野の用心棒では町の治安を自力で守り、自力で生き抜く。「ダーティハリー」では法の欠落で逃げ延びた凶悪犯を抹殺。「ミリオンダラーベイビー」では魂を失った愛弟子を安楽死させる。これらは国家に何も期待しない、自分お命は自分で守り、死すら自分で選択するべきであるというイーストウッドの哲学がある。これはある意味、無政府主義にも通じる。しかし、アメリカは伝統的に開拓者の国。アイン・ランドの「肩をすくめるアトラス」や共和党のゴールドウォーターなどに思想的裏づけがある。こうした思想がアメリカ人の中に少なからず、根付いていることに多くの日本人はまだ気づいていない。

●戦後日本の欠落
戦後の日本人にかけている感覚はまさにこれなのである。何もかもを国任せにし、国家自体は自由経済・安全をアメリカに依存している。教育問題を含めての地方自治に関する権限委譲も地方行政単位が独立自尊で選択できるのか、と言うことである。日本人は自分の考えで価値判断し、自分の足で立てるか。イーストウッドの映画に出てくる男達は極限状況で様々な選択をし、苦悩を浮かび上がらせる。栗林忠道中将はアメリカ滞在経験の豊富な合理主義者。だから、硫黄島でのたれ死ぬことは本人が一番よくわかっている。それでも栗林は乏しい兵力で徹底抗戦を試みる。なぜならそれが本土に残った家族・国民が一日でも生きながらせることだと信じているからである。そして万策尽き果てた後、バロン西と同じく、武士的な玉砕で死ぬ。どれほどアメリカナイズされようとも最後は日本人として栗林は死んでいった。誰も栗林みたいに生きよ、といっているのではない。ただ、栗林の「己が考え、正しいと思ったら命をかけよ」と二等兵の西郷に語りかける言葉にイーストウッドは共鳴したのだろう。政府も軍にもみはなされながらも自分の価値判断に命を書けそれに準じて死んだ栗林にイーストウッドは61年前、本土から遠く離れた小島に日本人のリバータリアイズムを発見したのだろう。我々は栗林の精神を忘れているといえる。

●戦後のパイオニアは全てリバータリアン
今月号の文芸春秋に栗林役の渡辺健と栗林のノンフィクションを書いた作家の梯美智子の対談があった。その中で渡辺は「栗林という男は松下幸之助などによく似た創意工夫の人だった」と語っている。かつてのプロジェクトX世代の人間も全てひっくるめて、米国の追従とは違うオリジナリティーあふれる人材が多数いた。それらの中からホンダ、ソニーが生まれ、YS-11が製造され、セブンイレブンが生まれた。彼らは全て司馬遼太郎が言うところの暗い昭和前期に教育を受けた人間である。そして戦後、米国主導の民主主義教育が導入されてから傑出した人材が生まれていない。戦後民主主義教育のスターターである団塊世代がいよいよ定年退職をい迎えるが、彼らの中から日本を牽引するリーダーが誰も生まれていないのは注目に値する。坪内祐三氏は「あの世代から総理大臣は出てく無いんじゃないか」と評じる。ちなみにクリント・イーストウッド自身も1930年生まれ。日本で言うところの昭和一桁世代でプロジェクトX世代だ。

●そう言った意味でこの「硫黄島の手紙」「父親たちの星条旗」は全米・全日本のの人に見てもらいたい大人な映画である。ちなみに「父親たちの星条旗」は8週目にもかかわらず、ほぼ満席。「硫黄島」は初日のせいもありますが、銀座・渋谷・池袋とどこも立ち見でした。客層は老年カップルから若いカップルが多く、デート映画でその後、ラブホみたいな客層とは一味も二味も違い、なんとなく微笑ましい気持ちになりました。

Sunday, November 05, 2006

映画千夜千本③

●「インサイドマン」☆☆☆☆
マンハッタンの銀行に強盗が入る。犯人は人質に堪忍と同じ格好をさせる。事件を担当するデンゼル・ワシントン演じる刑事。頭取は貸金庫にある秘密文書を別ルートで秘密裏に回収する。担当するのはジョディ・フォスター扮するロビースト。三者三様のドラマが繰り広げられる。主犯のクライブ・オーウエンの真意は?
●「寝ずの番」☆☆☆☆
中島らも原作。関西落語界重鎮が危篤。最期にしたいことは「お●●が見たい」弟子たちは相談し、高弟の中井貴一の奥さん(木村佳乃)に白羽の矢が…前編抱腹絶倒の艶笑話。いまどき珍しい大人向けの作品。監督は二代目マキノ正博を襲名した津川正彦。
●「マンダレイ」☆☆☆☆
ラース・フォントリア監督のアメリカ三部作の第二弾。ドッグビルを焼き払い南部のマンダレイに向かう一行。ときは1933年のアメリカ。ドッグヴィルを出たグレース(ブライス・ダラス・ハワード)は、ギャングのボスである父らと共に、南部のマンダレイという農園にたどりつく。そこはなんと、いまだに白人による黒人奴隷制が続く、驚くべき土地だった。正義感にかられたグレースは、父の部下のギャングたちの実力行使によりすぐに黒人奴隷を解放、父の反対を無視して民主的なルールをマンダレイに広めようとするが……。
ヨーロッパのインテリから見た強烈なアメリカ批判である。我々日本人には出来そうにない知的な作品だ。
●「隠された記憶」☆☆☆☆
これもオーストラリアの監督・ミハエル・ハネケ。テレビのニュースキャスターを務めるダニエル・オートイユの家に脅迫のビデオレターが送られる。不安に駆られるジュリエット・ビノッシュ演じる妻。事件は夫の過去にさかのぼる。そして衝撃の展開へ…。ハネケらしい悪意に満ち溢れたドラマは人の神経をさかな出る。好き嫌いは分かれるが、ハリウッド映画では考えられない人間に対する深い洞察が光る。

Thursday, October 12, 2006

追悼・阿部謹也

●阿部 謹也(あべ きんや、1935年2月19日 - 2006年9月4日)は東京都千代田区生まれの歴史学者。専門はドイツ中世史。世間をキーワードに独自の日本人論を展開し言論界でも活躍する。1997年紫綬褒章。上原専禄の弟子。一橋大学名誉教授。

早くに父を亡くし、中学時代に修道生活を送った経験から西洋中世史の研究を志した。国立大学協会会長、文化功労者審査会委員、財団法人大学基準協会副会長、大学審議会特別委員、学術審議会委員、 東京都青少年問題協議会副会長(会長:石原慎太郎東京都知事)等を歴任。

著書に『ハーメルンの笛吹き男』『刑吏の社会史』『「世間」とは何か』など。『中世を旅する人びと』でサントリー学芸賞、『中世の窓から』で大佛次郎賞。筑摩書房から著作集が出ている。

「世間」から日本社会を研究すべく、「日本世間学会」を立ち上げた。

最晩年は、腎臓病を患い、人工透析を受けながらの研究生活だった。

2006年9月4日午後9時37分、急性心不全により東京都新宿区の病院で死去。71歳だった。

Wednesday, October 11, 2006

映画千夜千本③「インファナルアフェア」

●「インファナルアフェア」三部作★★★★☆☆
アンディ・ラウとトニー・レオン主演のハードボイルドムービー3部作のBOX。警察に潜入したマフィアと、マフィアに潜入した警官。運命に翻弄されるふたりの男の生き様を描く。
警察に潜入したマフィアの男と、マフィアに潜入した警察の男の2人が運命的な対決を果たすハードボイルド作品。
●「インファナル・アフェア」 マフィアの組員の18歳のラウは、ボスのサムの指示で香港警察に入る。一方、ラウと同じ警察学校に通っていたヤンは組織犯罪課のウォン警視に見込まれてマフィア世界へ潜入。10年後、ラウは警察内で出世し、ヤンもサムに気に入られて麻薬取引をまかされるまでになっていた。そんな中、マフィアも警察も内部情報者がいると知り、双方とも裏切り者を探す指示をラウとヤンに下すのだった……。
極限に追い詰められていく男たちの心理と、潜入の末の心の変化が生み出すドラマがヘタな説明台詞なしに描き込まれていて、胸を熱くするとともになんともやるせない気持ちにさせてくれる。また麻薬取引日のラウとヤンによる情報合戦は実にスリリング。展開も予想がつかないし、最後まで釘づけにさせられること間違いなし。実に見事なフィルムノワールだ。(横森 文)

《監督》 アンドリュー・ラウ / アラン・マック
《脚本》 アラン・マック / フェリックス・チョン
《ライン・プロデューサー》 エレン・チャン / ロレイン・ホー
《美術》 ビル・ルイ
《衣装》 デザインシルバー・チョン
《アクション指導》 リー・タッチウ
《撮影》 アンドリュー・ラウ / ン・マンチン
《編集》 ダニー・パン / パン・チンヘイ
《音楽》 チャン・クォンウィン
《音響》 デザインキンソン・ツァン



●「インファナル・アフェア2無間序曲」
トニー・レオンとアンディ・ラウの息づまる攻防で、香港映画の復活を見せた前作。このパート2は過去にさかのぼり、ふたりが過酷な運命に身を投じることになった経緯が描かれる。1作目の回想シーンで主人公たちを演じたショーン・ユーとエディソン・チャンがメインキャストに昇格。それぞれレオンとラウを連想させる表情で熱演している。一方、彼らのボスたちのドラマにも焦点が当てられ、1991年、中国返還以前の香港裏社会の壮絶な人間模様が浮き彫りになっていく。
1作目のパワーは落ちていない。むしろ加速している。警察と裏組織、双方の内部での確執や裏切り、密かな取引や愛のドラマが巧妙に絡んで緊張感を持続させ、突発的な衝撃シーンで圧倒。前作の演出力に、さらに磨きがかかったようだ。新たなキャストも魅力的で、マフィアの妻役カリーナ・ラウの妖艶さや、若きボス、フランシス・ンの知的でクールな悪の香りが秀逸。破滅へ向かっていく者たちは哀れだが、観ているこちらはゾクゾクとする興奮が味わえる。かつての日本のヤクザ映画が、香港で鮮やかに復活したようだ。(斉藤博昭)

内容紹介
アジアのみならず世界を熱狂させた香港映画の金字塔『インファナル・アフェア』3部作の第2章。第2章が描かれるのは、11年前の1991年~1997年。
第1章のトニー・レオンとアンディ・ラウに代わって、若きヤンとラウを演じるのは、香港新世代スターで最も注目株のショーン・ユーとエディソン・チャン。マリー役には、『2046』にも出演しているカリーナ・ラウ。2代目大ボス、ハウには香港映画界きっての演技派フランシス・ン。

●「インファナル・アフェア3終極
潜入捜査官としてマフィアの一員になったヤンと、マフィアの指令で警官となったラウ。ふたりの壮絶な運命を描くシリーズ完結編。第1作のラストでヤンが死んだ後から、物語は始まる。マフィアとしての過去と決別したいラウが、警察内に潜んでいると思われる他のマフィアを探すうち、エリート警官のヨンと中国本土の武器商人の関係を怪しむ。
男たちの悲劇と衝撃シーンが相乗効果を上げた前2作とはうって変わり、今回はラウの心理ドラマに重点が置かれている。彼が向き合う現実とともに、前作で描かれなかったヤンの行動、ヤンの精神科医とラウのドラマ、さらにラウの幻想などが絡む重層的な展開だ。第1作で晴れわたっていた屋上が、どんよりとした曇天の下で再登場するなど、全体に陰鬱なムードで覆われ、アンディ・ラウの熱演とともに訪れる結末は今回も悲痛。前2作から過剰な期待を持って観ると物足りない部分があるかもしれないが、3部作全体を、この10年の香港の変化とだぶらせると、感慨もひとしお!(斉藤博昭)

内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
アンディ・ラウとトニー・レオン主演のハードボイルドムービー3部作最終章。ヤンの死後、ラウは自分以外の警察潜入マフィアを探すうち、エリート警官・ヨンに目を付ける。さらに精神科医・リーに近づいたラウは、ヤンの半年間が記されたカルテを入手する。



●第一作から派生したと思われる第二作、三作が第一作よりも面白いという稀に見る三部作。アメリカの国宝とも言われる「スターウォーズ」三部作よりも面白い三部作単位では世界最高峰の映画です。
●マーチン・スコセッシがリメイク。レオナルド・ディカプリオ、マット・デイモン、ジャック・ニコルソン、マーティン・シーンが出演。アメリカでも大ヒットしてます。
●何が面白いかというとまず脚本のできが素晴らしい。これ以上のものは考えられません。とりあえず観て!

Sunday, October 01, 2006

再読「日本近代文学」⑦中上健次

●良くも悪くも戦後の作家では村上春樹と中上健次が最大の存在でしょう。ではまず毎度おなじみのウィキペディアから抜粋。
●中上 健次(なかがみ けんじ、男性、1946年8月2日 - 1992年8月12日)は、和歌山県新宮市生まれの作家・批評家・詩人。本名は、表記は同じだが読みは「なかうえ」。妻は作家の紀和鏡、長女は作家の中上紀、次女は陶芸家で作家の中山菜穂。被差別部落の出身であり、部落のことを「路地」と表現する。初期は、大江健三郎から文体の影響を受けた。デビュー作は、村上龍『限りなく透明に近いブルー』の先行的作品とも呼べる『灰色のコカ・コーラ』。柄谷行人から薦められたウィリアム・フォークナーに学んだ先鋭的かつ土俗的な方法で、紀州熊野を舞台にした数々の小説を描き、「紀州サーガ」とよばれる独特の土着的な作品世界を作り上げた。1975(昭和50)年、『岬』で、第74回芥川賞を受賞。戦後生まれで初めての芥川賞作家として、話題を呼んだ。早世。
●『枯木灘』(1977年)は著者の出世作。被差別部落に住む中上と中上の血族がそのモデル。事実と空想がない交ぜになったギリシャ悲劇を思わせる路地の物語で一躍、戦後で最も重要な作家となる礎を築いた。私も高校生の時にたいそう感銘を受けました。そして現在、再読してみるとそこまでの感銘はなく、中上の抱えていた問題を捏造に感じてしまう。
●最も、それは著作から発見したのではなく、「評伝 中上健次」(高澤秀次)を読んだからだ。中上は上京中に新卒サラリーマンの2倍の仕送りを受け、放蕩し、肉体労働も短期に辞めることを繰り返して、作中で語られる労働の美しさは実体験に基づいたものではなく、空想の産物に過ぎなかった。このことは作家・梁石日氏が「アジア的身体」の中で指摘している。要するに若者が差別の出自や、複雑な家庭環境を神話に昇華することによって自己肯定するための材料にしていたのだ。おおよそ差別された実体験に乏しい中上が、東京で文筆業に身を立てるために利用したといっては言いすぎだろうか。評論家・福田和也氏は「 近代の果実をかじった「満腹ガキ」の一人としてのあがきを「現代文学」で論じている。ただ、タクシードライバー18年の梁氏から見れば、同書で引き合いに出されている港湾の哲学者・エリック・ホッファの言を引き出すまでも無く、労働の実感なさを指摘されている。
●それでも「満腹ガキ」の一人としてそのあがきを福田氏は擁護する。
●私も「枯木灘」は擁護したい。問題は次作の『地の果て至上の時』(1983年)で中上は自家撞着を始めてしまったことだ。この物語で秋幸は語るべき神話を乗り越えられず、自分自身が構築した物語の渦に飲み込まれてしまったのではないか。
●大阪に「人権博物館 リバティ大阪」という博物館がある。大阪の最大の部落・旧渡辺村の中心にあるこの博物館が今年、リニューアルしたので5年ぶりに見学した。するとかつて観た「京都七条部落問題」や岸和田紡績の過酷労働、もしくは中世の差別の起源など、行ったものに必ずや、打撃を加える重厚さが消え、薬害エイズ、女性の就職差別、ハンセン氏病などのこの世にあるありとあらゆる差別に向けて糾弾する展示に裾野が広がっていた。なんだか以前、行ったときの衝撃を受けなくなった。「地の果て」以降の中上が韓国の現状に言及するようになった。これを梁氏はこっぴどく批判した。それは在日である梁氏が中上が論じた韓国辞表がいかに無理解かを示すないようだったからである。別に梁氏は韓国の問題は我々の物語であるから余計な口出しは無用といってるわけではなく、中上の独善に反論している。中上は己の語るべき物語を失い、他の被差別者との連帯を志したのではないか。
●漫画家の小林よしのり氏は「ゴーマニズム宣言」の中で薬害エイズ問題を取り上げた時、運動を起こしていた当事者の患者および支援者が勝訴を獲得していた後、他の差別に対する糾弾を始め、患者の母親が政治活動を始めたことに関して、「目標を達成したのだから日常の市民生活に戻るべきだ」と論じ、団体を去った。語るべき物語を達成した中上は書く動機を失ったのではないか。それをなんとか他の被差別に見出そうとして、失速したのではないだろうか。
●『日輪の翼』(1984年)や『奇蹟』(1989年)は路地を失った者の後日談である。中上は被差別という連帯をその後の 『讃歌』(1990年) 『軽蔑』(1991年) 『鰐の聖域』(1991年) そして遺作で未完の『異族』(1991年)で書き連ねたが、初期の傑作ほどの評価は受けなかった。これらの物語は中上の中からあふれ出た書かざるを得ない作品ではなっかたのではないか。評論家・吉本隆明は「中上は現代思想などの勉強を始めてからだめになった」と後期の中上作品を批評したことに対して、盟友であり、勉強させた張本人と思われる評論家・柄谷行人氏は「勉強したからだめになったのではなく、しなくなったからだめになったのだ」と反論する。柄谷が真正面から中上を評論したものは意外と少なく、その切っ先は他の作家の作品に向けた鋭い切れ味に比べるとぬるい。梁氏は中上を「左翼評論家を押し黙らせることができた」と論じたが、確かに満腹ガキとりもさらに満腹な市民は中上の物語性にやられる。柄谷氏は今一度、中上を論じ直すべきではないか。先日、「坂口安吾と中上健次」を読んだが、坂口に関してはその可能性の中心を見事に照射して、坂口が読むべき偉大な作家であることが説得力を持って論じられている。それが中上の論になるとまるで説得力が無いのだ。要はえらいものはえらいとしか言ってない。福田氏や高澤氏の評論や梁氏の批判のほうがよほど説得力がある。「中上の死をもって近代文学は終わった」とまで論じるのだから。私も「枯木灘にはやられた。しかし、やはり作家としての中上が「枯木灘」で終わっている。今後も繰り返し、読み継がれるのはこの時代までだろう。松本清張氏は「昭和史発掘」の中で芥川龍之介作品をこう論じる「「歯車」や「河童」などの晩年の作家の実人生の苦渋に満ちた作品よりも流麗な「藪の中」や「芋粥」の短編が読み継がれるだろう」。初期の頃から芥川の晩年以上に苦渋に満ち溢れた中上の後期作品が再評価されそこに作家的到達を見ることが出来る日がくるのか。実は後期の作品を私は読んでないのでなんともいえないが今の私は読む気がしない。いずれ読みたくなる時がくるまで。
●それに比べると初期の『十九歳の地図』(1974年) 『蛇淫』(1976年)を再読したら実に面白かった。
この作家に限らず、小説家の作品は初期に限る場合が多い。職業作家とは厄介な仕事だ。

Friday, September 29, 2006

リメイクとハリウッド

●今度、「ウィッカーマン」がリメイクされます。ニコラス・ケイジ主演で。この映画は73年製作のイギリスのカルトホラーです。スコットランドの群島(おそらくはアイラ島)に行方不明の少女を探しに言った警官が島の原始宗教(ケルト宗教)の祭事に巻き込まれる話です。「神々の深き欲望」や石原慎太郎の「秘祭」的なお話です。オリジナルの中では執拗にでてくるセックスが薄められているそうですが、そんな換骨奪胎してレイティングシステム避けてもしょーがねーじゃん!というのが率直な感想です。まあ、リメイクは日本公開されてませんのでなんともいえませんが。ワタクシオリジナルの大ファンなので、言わせていただきます。ちなみにオリジナルの脚本家はアンソニーシェーファー。「デストラップ」で有名な名脚本家です。
●アダム・サンドラー主演で「ロンゲスト・ヤード」が公開され、アメリカではヒットしました。こちらもオリジナルに潜むアメリカンニューシネマの持つ反体制が薄められ、単なるコメディになっている聞きました。オリジナルのもつよさを消して、誤解されていくのが悲しい。オリジナルは硬骨漢・ロバート・アルドリッチが演出し、バート・レイノルズが主演でした。傑作です。
●カルトホラーで有名なウェス・クレイブンの「サランドラ」がリメイクされました。公開もDVDもないのでなんともいえませんが、オリジナルのもつ哲学性や科学批判は消されているでしょう。最近、オリジナルのDVDBOXが発売されました。
●結局は当時あまりヒットしなかったカルト作品のプロットを焼直しして、そのよさを消してファストフード感覚で生産しているという感じですか。いかにもハリウッド・MBAスタッフが考えつきそうなビジネスモデルですな。「イルマーレ」「JUON」等、リメイクのサイクルは加速度的に早くなって来て、資本主義トラバター現象がショウビズでも起こってます。
●そういえば音楽の世界でも…人気バンド「ブラックアイドピーズ」の新曲はセルジオ・メンデスのカバーで本人も参加してました。早くねーか?「アウトキャスト」もあれはどう見てもローバート・ジョンソンじゃないですか!後、ラップのフュ―チャリング。スリーピーブラウンフューチャリング・ビッグ・ボーイアンドファレルって結局、誰がうたっとるねん!でもどっかでみたことあるぞ、このビジネスモデル!そーだつんくのハロプロだ!ごまっとうだのWなど、以下省略。
●GM、GEなど20世紀のアメリカの興隆を支えた製造業が危機的な情況を迎えてますが、もはやアメリカにはものづくりという概念がありません。全てはサンプリング、シュミレーション、フューチャリングになってます。それをグローバリゼーションというのでしょうね。日本はけしてまねしないように…
●蛸が自分の足を…というわけではありませんが一つのカルチャーが終焉に向かっているといえるのではないでしょうか。これとそっくりな現象が日本の民放の連ドラであるのは言を待ちませんね。「白い巨塔」「西遊記」「サインはV」「エースを狙え」今度は「セーラー服と機関銃」ですか!民放のドラマ部門も衰退期に突入しております。自己模倣にも節度が必要ですな。

イギリス時代のヒッチコック

●「三十九夜」★★★★
「北北西に進路をとれ」などの巻き込まれ型サスペンスの原型。原型において最高傑作。カナダ人の男がイギリスでスパイ事件に巻き込まれ、スコットランドを舞台に逃げまくる話。ラストの機密事項の保存のアイディアなど、今見ても新鮮かつ、品格がある。
●「バルカン超特急」★★★★
鉄道等、乗り物大好きヒッチコック。上記の三十九夜は移動型ジェットコースタードラマだが、こちらは密室型。こちらも実にうまい。ハリウッドはこういうのをリメークせーちゅーの!
●「疑惑の影」★★★★
これはアメリカ映画ですが…初期の最高傑作とえます。ニューヨークで殺人を犯した男が逃亡して姉の住むサンフランシスコに逃げてくるが、姪に疑惑を持たれ…というお話ですが、サスペンスの教科書といえます。こっちも誰かリメイクせい!