Monday, August 07, 2006

いわゆる靖国問題

●ここ数年、8月15日を前にしてマスコミを中心にワーワー言うのが、いわゆる毎年恒例の「靖国問題」です。
●小泉首相が行こうが行こうまいが、知りませんが、ワタクシはこう考えます。
●まず、靖国神社の来歴から書きます。幕末から明治維新に掛けて、長州や薩摩などの藩単位で天皇のために戦った志士達の魂をねぎらうと言う意味で出来た追悼記念所が招魂社。これが江戸の上野山での攻防をきっかけに東京に一括されたのが靖国神社の始まりだそうです。ちなみに靖国の菊のマークは天皇家の家紋です。念のため…
●その後、明治政府は立て続けに世界戦争をします。日露戦争、日清戦争、第一次世界大戦、そして、問題の第二次世界大戦…
●戦前の靖国は国家管理に官製神社として存在してました。実質上の管理は軍人がやってまして、皇族関係者もしくは軍人が宮司を勤めていました。
●先日の日経新聞のスクープである天皇メモに書かれてあった松平宮司はその名の通り、徳川家の名門の松平家の末裔で、皇室とも縁の深い人物です。
●ちなみにあの天皇メモですが、A級合祀を松平が勝手にやった見たく書いてあるが、52年の段階で、A級戦犯として扱わない国会決議が出てまして、それにあわせての合祀であります。その過程を昭和天皇が知らないとは考えられず、あのメモの真意を考えるとそんな重要でもないような気がしますが…所詮、聞き書きだし、櫻井よしこ氏などが言うように前文公開すべきでしょう。その時点で有識者が検証すべきでしょう。
●ちなみにあそこに書かれた松岡洋祐と白鳥は戦前の外交政治家で日独伊三国軍事同盟の実務担当者でした。この政策が昭和天皇の逆鱗に触れたのか、個人的に嫌いだったのかは定かではありません。この天皇メモを根拠に靖国参拝問題に決着(要は小泉に行くなといっている)がついたと左翼論壇および経済界(日経新聞は財界の意を受けてやったといわれている)は言うが、拡大解釈しても、松岡と白鳥が嫌いだから靖国には行かないと言ってるだけで、まさかこのメモが政治利用されたと知ったら富田宮司およびこのメモを提供した親族に対して、逆に怒り狂うでしょう。
●敗戦後、政教分離の名目で靖国は国家管理から独立行政法人になりました。靖国のパトロンは日本遺族会で、歴代の自民党政治家が会長を務めてます。現在は古賀誠元幹事長です。自民党の票田となり、小泉政権の誕生の一翼を担っておりました。小泉が靖国参拝にこだわるのは首相就任に力を貸してくれた遺族会に対する感謝の意でしょう。
●さて、天皇が靖国参拝をやめたのはこのメモが書かれた3年前の昭和50年で、いわゆるA級戦犯合祀の前から止めてました。天皇が参拝を止めるきっかけをつくったのは三木首相の8・15参拝の年です。少数派閥の三木が遺族会の票が欲しくて政治利用のため、終戦記念日の参拝を実行した。この時点で靖国参拝の政局かが始まったのだ。小泉の参拝の原点が三木首相の思わくと重なる。この時点で靖国参拝を止めた天皇は賢明な選択だったのではないか。この後、三年後にA級が合祀される。ただし、この時点では国際政治問題化にはいたっていない。
●首相の靖国参拝が問題化したのは中曽根首相の時です。それ以前にも三木首相の時に8・15参拝が始まりましたが、神社に終戦記念日に参拝することになったのはこの時期からで、元々、秋の例大祭という靖国最大の行事があり、以前は吉田茂とか、この時期に合わせて歴代の首相は参拝してました。
●三木時代は首相としての公式参拝か私的参拝かを曖昧にしてましたが前出の中曽根首相が戦後初の公式参拝を表明しました。中曽根首相は元海軍将校でした。中国の抗議により、私的参拝という名目にしました。後日、中曽根は「当時、首相だった趙紫陽の政治的立場を守るために私的参拝にした」と発言していましたが、要は自分のスタンドプレイのために国益を損失しただけです。大物気取りで、趙紫陽との友情で助けたそうですが、その後、趙は中曽根の友情もむなしく失脚してます。日本の首相に中国の政局を動かせると考えていたとしたならまあ、のんきですな…
●靖国問題を中国にご注進したのは中曽根を嫌っていた朝日新聞です。しかし、当時の共産党はこのことを問題にせず、むしろロシアとの国交悪化のせいで日本防衛費を増額するように要請してました。つまり今とは全く逆の主張していたのです。このことは重要で、中国にとっては国内の都合によって靖国を外交カードと考えているのです。現在でも経済的観点から胡錦淘主席はこれ以上この問題を深追いしてくないようです。右も左もコップの中の嵐で忙しそうですが、外交的センスのかけらもないのは日本人のおなじみの国民性とはいえ、寒い話です。
●現在でも、対中貿易をスムーズに運びたい奥田硯率いる経団連を中心とした国内の反安倍勢力がこの問題を政局に持ち込みたい思惑が伺えます。ちなみにトヨタは戦前に紡績工場のストライキで工場長が殺傷される事件に巻き込まれています。アメリカの大統領もかつて「中国市場にはわかったいても騙される」と言ったそうです。一人が歯ブラシ一本買っても13億本ですからね…
●今日では問題の焦点がA級戦犯合祀の問題に集中しています。しかし、反対する陣営も賛成する陣営もA級戦犯に対してどのぐらいの見識があるのでしょうか。
●A級戦犯を考える前にまず東京裁判について考えなくてはなりません。
●東京裁判とは極東軍事裁判といって、戦勝国が敗戦国、この場合はドイツと日本を裁くという歴史上初めての裁判です。何故初めてかと言うとかつて戦争をして負けて領土を割譲したりしたことはあっても、それは戦争に負けたことに対する処分であって、戦争を起こしたこと自体を罪に問われることは無かったからです。
●不幸にもそもそもドイツのニュールンベルグ裁判という雛形があって東京裁判はそれに沿って施行されたものなのです。ドイツの場合はユダヤ人・ジプシー虐殺という事件を起こしてます。ニュールンベルグはこの国家的犯罪を裁くために行われたものです。
●A級戦犯とは平和に対する罪。要は戦争を起こした国家指導者に適応します。
B級戦犯は戦争犯罪。国際法上、捕虜の虐待をした将校に適応します。
C級戦犯は人道に対する罪。民間人を殺傷した罪です。
これによればユダヤ人虐殺はC級戦犯と言うことになります。ドイツの国内法に適応させても罪状を確定できるのですが、いわば半ば、見せしめと言う形で施行されました。
●問題はこれに対する戦争犯罪人が日本にはいたのかという話です。東京裁判で罪状に問えるのはポツダム宣言受諾以前の41年までの間で争うべきですが、1928年以降の案件が対象となりました。理由は当時の田中儀一首相が天皇に中国支配を上奏したという田中上奏文が根拠になったそうですが、これは後に中国の偽書だと言うことが判明しました。ドイツのヒットラーは1933年から敗戦まで政治的実権を握っていましたが日本にはそのような長期的な国家指導者はいません。あえて言うならば昭和天皇ですが…
●東条英機は28年当時は陸軍大佐。国権の発動する位置にはいませんでした。ちなみに満州事変も盧溝橋事件にも関与しておらず、40年に総理大臣になったのも戦争回避のためです。
●もちろん戦争をとめられなかった、その後もまずい戦略を立てて日本を苦境に追い込んだのは間違いありません。東条本人もその敗戦に対する罪は国民、天皇に対して率直に認めてます。そういう意味ではA級戦犯はGHQ収監が決まった夜に自殺した近衛文麿が妥当ですが…。「国民党政府を相手にせず」といって対中戦略が拡大した明確な失政をしてます。東条は近衛の責任まで背負わされているのではないでしょうか。とにかく、アメリカは生贄が必要だったのです。
●東京裁判がさらに混迷するのは唯一のA級戦犯該当者である昭和天皇の罪を問わないアメリカの外交戦略にあります。要は東条はその罪を一身に背負って国家のために殉死したのです。この点はいくら褒めても足りない治者の矜持です。天皇はたとえ、靖国には参拝しなくても東条には手を合わせていたことに想像に硬くありません。
●東条以外のA級戦犯について触れます。巣鴨プリズンで絞首刑になったのは以下6名。
板垣征四郎、松井岩根、広田弘毅、木村平太郎などです。大戦中の陸軍大将です。広田だけは外交官僚系の政治家で唯一の文官です。海軍軍人はすでに死亡していた山本五十六に責任をなすりつけたので死刑囚はでなかったそうです。
●ナチスに類推できる戦争犯罪人がいないのでキーナン検事は共同謀議という犯罪を提案しました。判決の際に共同謀議という罪状が適応されましたが、この7名が協議して戦争を遂行した事実はありません。むしろ陸軍内部でも統制派・皇道派などの派閥がありました。
●このような一種の茶番劇によってA級戦犯は1947年の今上天皇誕生日に処刑されました。わざわざこの日を選んで刑を執行したことは東京裁判が勝者の敗者に対する見せしめである意図が明確に観てとれるのではないでしょうか。日本国としては彼らに戦後、哀悼の意を表明するものがあってもなんら問題は無いでしょう。
●中国に対してはまず、51年のサンフランシスコ講和条約に調印したのは中華民国政府で現共産党ではありません。70年に日中国交回復しますが、靖国参拝が問題視(この時点でも首相参拝は行われてます)されていません。火をつけたのは国内の左翼勢力、朝日新聞です。朝日は今日でも東京裁判を受け入れることによって日本は国際復帰したのでA級戦犯を分祀すべきだと主張しますが、専門家によれば受諾したのは(裁判の諸判決=judgement)で(東京裁判そのもの=trial)ではなかったと指摘されています。条文にはjudgementと記載されています。
●A級戦犯の一人松井岩根は日中戦の責任者で南京大虐殺の責任をとらされ処刑されましたが、松井自身は南京虐殺の指示を出しておらず、巣鴨に収監される以前から中国に観音菩薩像を建立して中国国民に哀悼の意を表明した慈悲深い面を持っています。
●いわゆる南京虐殺事件に触れておきます。中国政府の発表によると30万人が被害者ですが、当時の南京の城内には20万人しかおらず、大量の死体も発見されてません。各種調査によると、4万人ぐらいが妥当だということです。それも南京城内には便衣兵という市民に成りすました軍人が多数いたので正確な人数は藪の中です。ただし、南京大虐殺が無かったかといえばそんなことは無く、兵站=ロジスティックがめちゃくちゃな日本軍の現場が混乱し、統制が乱れて、暴走する日本兵がいたことは間違いないでしょう。ただ、軍部の指令として南京市民の計画的虐殺はなかったでしょう。もし、あれば東京裁判に課程で証拠が供出されていたはずです。ここが国家的犯罪であるナチスのユダヤ人虐殺との明確な相違点です。
●それにしても朝日新聞を中心とする左翼の偏向報道はは目に余るものがあります。朝日新聞記者の本田勝一の「中国の旅」では南京駐留軍の将校が市民を軍刀で切りあう数の競争をしたといういわゆる「百人切り事件」等を中国側の情報を裏も取らず、載せたのはジャーナリスト失格の烙印です。中国のプロパガンダを鵜呑みにして自虐史観を形成しようとする本田のほうがよほどA級戦犯です。
●朝日新聞が戦中、いかに戦争をあおったか、そして戦後、GHQに出版停止を受けてから、態度を豹変し、東京裁判史観を支援したか、今の国民はほとんど知りません。今日でも、戦後民主主義の骨格である、戦争反対・平和第一主義・自虐史観・戦前は軍部に抑圧されて暗黒時代だった・司馬史観などで国民のコンセンサスは形成されています。朝日新聞だけは信用できません。
●しかしこれらの歴史観はアメリカの都合がいいように作り変えられたもので、戦後60年経ってもこの自虐史観は日本人の思考を拘束してます。そうです。今日でも日本はアメリカに占領されているのです。
●この洗脳を解くには東京裁判史観の見直しを徹底的やることが重要です。
●小林正樹監督の「東京裁判」を観ると東条英機らA級戦犯が実に風格のある人物であったかがわかります。ぜひ一度、観てください。
●結論を書きます。A級戦犯の分祀は必要ありません。中国に対してはA級戦犯がなぜダメなのかを説明してもらい、その根拠に上述の内容を含めて反論すればいいのです。国際法上、人道的にも、論理的にもわが国が論破されることはありません。いや、あってはいけないのです。それが真に国際社会で必要な国家のスタンスなはずです。そうしなければ世界は暗黒裁判史観=スペインのピサロに処刑されたインカ帝国のアタワルパ時代に戻るでしょう。
●法学上の基本理念・罪刑法定主義や、国際法から鑑みて日本は無罪であると強く主張したインドのパル判事の遺志を我々日本人は継ぐべきだろう。パル氏はこういう「広島に原爆を投下したアメリカ兵は罪の意識をもっていたのか」と。
●今日でも、アメリカはイラクに傀儡政権を操作し、フセインを裁こうとしているが、アメリカのデモクラシーとは東京裁判史観からそう遠くない位置に立っている。国連を無視し、大量破壊兵器も無かった。アブグレイブでの虐待…。アメリカの正義とは?日本は考えなくてはならない。

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