Thursday, July 13, 2006

再読「日本近代文学」・⑥ディズニーランドから青べか・山本周五郎

●山本周五郎って知ってますか?昭和を代表する大衆作家です。
●こんな人です(ウィキペディアより抜粋)
山本 周五郎(やまもと しゅうごろう、本名、清水 三十六(しみず さとむ)、男性、1903年6月22日 - 1967年2月14日 )は日本の小説家。山梨県北都留郡初狩村(現山梨県大月市初狩町下初狩)出身。旧制横浜第一中学校(現神奈川県立希望ヶ丘高等学校)中退。知人の紹介で質屋に住み込みながら、正則英語学校(現在の正則学園高等学校)を卒業。その質屋の名前が山本周五郎質店である。これが筆名となったのは、自身の出世作となった「須磨寺附近」を発表する際に本人の住所「山本周五郎方清水三十六」と書いてあったものを見て、文芸春秋が誤って山本周五郎を作者名と発表した事に由来する。
『日本婦道記』で第17回直木賞に推されるも辞退(※直木賞史上唯一の辞退者である)。
代表作に『さぶ』、『赤ひげ診療譚』、『樅の木は残った』、『虚空遍歴』、『ながい坂』など。
死後、氏の功績をたたえて、山本周五郎賞がつくられた。
主な作品
日本婦道記(1942年)
樅ノ木は残った(1954年-1958年)
赤ひげ診療譚(1958年)
青べか物語(1960年)
季節のない街(1962年)
さぶ(1963年)
映画
椿三十郎(1962年 監督:黒澤明)
五瓣の椿(1964年 監督:野村芳太郎)
赤ひげ(1965年 監督:黒澤明)
どですかでん(1970年 監督:黒澤明)
どら平太(2000年 監督:市川崑)
雨あがる(2000年 監督:小泉堯史)
かあちゃん(2001年 監督:市川崑)
海は見ていた(2002年 監督:熊井啓)
SABU(2002年 監督:三池崇史)
●唯一の直木賞辞退者と言うところが渋いですな。黒澤映画の常連だったのは知ってます。「どですかでん」は「季節のない街」の得映画化。リリーフランキーは黒澤映画のベストに上げてました。そう言えば雰囲気が東京タワーの子供時代に似てます。
●椿三十郎もリメークが決定(織田裕二!)近年も一流監督に盛んに映画化されています。
●今回紹介するのは「あおべか物語」です。舞台は大正末期の浦安。実際。若き頃の山周が3年間暮らしたところです。「青べか」とは遠浅で漁業できる一人乗りの船のことです。外壁が青いから青べかと呼ばれてました。そこに住む住人との奇妙な交流を短編連作で構成されています。
●黒澤が映画化しなかったのも無理はない…なぜならそこに出てくる人物があまりにもえぐい。ヒューマニズムのかけらもない連中なのです。ぼろぼろの青部かを騙して売り付ける老人。またそれを笑いものにして船を破壊しようとする子供。飲み屋兼売春宿の猥褻な女達。色情況の美少女。出てくる人物が剥き出しのいわば、ドストエフスキーやセリーヌ、ジャン・ジュネの作品の登場人物のような野蛮さを身に着けている。
●物語のエピローグで8年後、30年後、浦安・堀前を山周は訪ねる。そこでこの小説の人物が全て実在していることがわかる。
●素晴らしい…黒澤には無理でも、今平ならできたのに…残念。とにかく、「青べか」は昭和初期の東京周辺の風俗を描ききった作品です。同時代の永井荷風なんかと比べると面白いのですが、川一つ超えるとこれだけ違うのかと驚愕します。解りやすく言うと「最暗黒の千葉」なのですが(笑)。ただ、そこに住んでる連中は自分たちのことを最暗黒と思っているわけではなく、普通に生活しています。たかが70年前にこんなライフスタイルが…。ワタクシの地元関西でも、宮本輝が1940年代のミナミを描いてましたが(泥の川)、あの舟屋の売春がさわやかに感じるほど、泥臭いんです、
●そうなんです。ここで声を大にしていいたいのは、関西より関東のほうが泥臭い=垢抜けないんです。えぐいんです。ぐろいんです。えげつないんです。それをこの青べかは描ききってます。
●「三丁目の夕日」が大ヒットしましたが、作家・小林信彦は自伝「和菓子屋の息子」でこう書いてます。「ワタシは両国で1930年代に育ちましたが、長屋は見たことがない」「下町の人情とかいうが、我々は者の貸し借りはしません。なぜなら金を借りたりしたことはすぐ近所にバレ、あの店も終わりだと噂され、商売がちいかなくなるのです」。た、確かに…
●小林氏は「三丁目の夕日」的な下町=人情ができたのは戦後の松竹映画のせいだと喝破してますが、ほんものの下町が同時代の川向こうにあったのです。ただし、そこには人情はなく、あるのは色情・差別・怠惰・恫喝・諦念・退廃です。長屋暮らしに似つかわしいのはこれらの言葉であることを山周は実証していきます。
●ワタクシ「ディズニーランド」嫌いなんです。なんかあそこの演出や客層って下品なんです。矢沢がライブをやってましたが、ヤンキー一家=矢沢永吉=ミッキー(喧嘩ぱやいアイルランド人のパロディです)=ホワイトトラッシュ(セレブはいきませんよ)という構図が出来上がっていますが、さらにあそこが貧乏くさいのは青べかの呪縛霊が効いていたんですな。
●山周はそんな青べか連中を嫌ってるわけではありません。むしろ好きなぐらいです。30年後に感動的な対面があります。登場人物の一人と街で出くわします。山周はありんままを書いてるので起こられると思ったのですが、本人は感激して一生の宝物にすると言ってます。まあ、その男がとことん無知で権威に弱い(その頃、山周は巨匠でしたから)という言い方もできるのですが、これが本当の下町情緒というものではないでしょうか。所詮、近代的市民のワタクシ達とは隔絶した人間なのです。柳美里の裁判の一件を見てもわかるように。ましてや、我々の癒しの道具ではありません。あんまり悪口を書きましたので今度、「三丁目の夕日」観ます…

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