Thursday, August 24, 2006

再読「日本近代文学」⑥昭和のバルザック・獅子文六

●獅子 文六(しし ぶんろく、1893年7月1日 - 1969年12月13日)は、日本の小説家、劇作家、演出家。本名は、岩田 豊雄。演劇の分野では本名で活躍した。

横浜の弁天通に生まれる。慶應義塾幼稚舎から普通部を経て、慶應義塾大学理財科予科に進学するも中退。フランスに渡って演劇を勉強する。

1937年、岸田國士、久保田万太郎と共に劇団文学座を創立。「文学座」の命名は岩田のものによる。岸田、久保田と共に文学座幹事(のちに顧問)を務め、岸田、久保田がこの世を去った後は、文学座の最後の精神的支柱として、文学座座員はもとより、文学座を脱退した劇団雲、劇団NLTの面々からも信頼を一手に受けた。

獅子文六の筆名による小説家としても活躍、『娘と私』『大番』『箱根山』などの連載小説で高い評価を受けた。

[編集]
小説作品
「達磨町七番地」(『朝日新聞』1937年1月5日~3月2日)
「南の風」(『朝日新聞』1941年5月22日~11月23日)
「海軍」(『朝日新聞』1942年7月~12月24日)
「てんやわんや」(『毎日新聞』1948年11月22日~1949年4月14日))
「自由学校」(『朝日新聞』1950年5月26日~12月11日)
「大番」(『週刊朝日』1956年2月26日~1958年4月27日)
「娘と私」(『主婦之友』1953年1月~1956年5月)
「父の乳」(『主婦の友』1965年1月~1966年12月)
●昭和の新聞小説の王様といってもいいほどの大家・獅子文六。現在で言えば高杉良と渡辺淳一をたしたような存在ですか。
●「箱根山」は昭和の鉄道王・堤安二郎と五島慶太が箱根で対決した史実を踏まえた上で書いている。「大番」のギューチャンは鈴木商店にモデルがいる。
●現在、文庫で読めるのは「但馬太郎治伝」「海軍」の二冊のみ。単行本は絶版。全集も入手困難な情況なので手に入りづらい。
●「但馬太郎治伝」は第一次世界大戦後のパリで盛名を馳せ、レジオン・ドギューム勲章を受けた薩摩太郎平の一代記。ほぼ実話で話は進行する。当時、パリ10数年在住時に現在の価格で600億の金を蕩尽した、ジャン・コクトーのパトロンとしても名を馳せた風雲児。
●こんな人間がいた明治大正期もすごいが、それを見事に活写した獅子文六の筆力もすごい。現代で彼に匹敵する質量を示す作家はいない。

0 Comments:

Post a Comment

<< Home